生存戦略研究所

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狩猟採集民が「平等を貴ぶ」のは何故か?

time 2017/02/28

狩猟採集民が「平等を貴ぶ」のは何故か?

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先日、指を怪我した話を書きました。
それをキッカケに思い出した事があります。

狩猟採集民が「平等を貴ぶ」のは何故か?
という事です。

そもそも「何故か」という以前に「狩猟採集民が平等を貴ぶ」事自体「え?そうなの?」という方も多いと思われますが、それについてはこの後順に書いていきます。

以前、何故だろうと考えた事があり、その時自分なりの結論に至りました。

その結論がやはり正しいだろうと、今回の怪我で改めて確信を強めたのです。

競争、格差肯定者が勘違いをしている事実

以前、確かネットで読んだものですが、「競争社会」「実力主義」で格差が生じていく事をどう思うか?というテーマの座談会の記事がありました。

座談会参加者は確か匿名だったか?
少なくとも有名人とかではなかったです。

詳細は忘れましたが、一か所強く記憶に残った部分がありました。

格差肯定の立場の人が
「恐らく狩猟採集民だって、狩りとかで活躍した奴は取り分多いでしょ?それと同じ事だよ。」
といった旨の発言をしていたのです。

要するに、「活躍に応じた取り分を得る」という事が、「本来のあり方でしょ?」「自然でしょ?」という理屈でしょう。

故に格差社会は正当であると。

全ての格差肯定者がそういう考えから肯定しているとは言いませんが、「格差社会は正しい」と強く思っているとするならば、その強い思いはどこから生じているのか?

「それが自然だ」=「当たり前だ」という感情が根っこにあるからではないか?

だけど実際は、現存の狩猟採集民はむしろ平等を貴ぶようなのです。

現存の狩猟採集民は平等を貴ぶ

私も所詮、TVのドキュメンタリーとか僅かな本から知った程度の知識ですが、それらを見る限り今も狩猟採集で暮らしているサバンナとかジャングルに住む人たちは平等を貴ぶらしいです。

具体的には確か、ハッザとかブッシュマン(コイサン)とかそういった部族だったと思います。

狩りに参加していようがいまいが分け前も均等。

また活躍した者をチヤホヤする事もない。
それどころか「獲物が小さい」とか「遠くて運ぶのが大変だった」とか文句すらたれる。

分け前は兎も角「活躍した者を褒めない、感謝しない」という所がむしろ不自然に思え、「え~!?何で?」と思いました。

「これは何かある...」
「自然にそうなったのではなく、後天的に到達した、意図的に設定された掟(ルール)ではないか?」

そう思いました。

狩猟採集民が「平等を貴ぶ」のは何故か?

彼らの身になって暮らしぶりを具体的に想像してみると、案外簡単に答えに思い当たりました。

その理由は…

理由①「一人では生きていけない」

 

文明社会ではスローガン

「人は一人では生きていけない」
金八先生とかに出てきそうなセリフですね。
皆さんも学校なんかで一度や二度は聞いた事がないでしょうか?

でも、それってフワッとした抽象的な感じがしませんか?
「道徳論」とか「精神論」というか、嫌味な言い方をすれば「綺麗事」というか。

私も学生時代に先生からそんなセリフを聞いて「何となくイイ話っぽいけど、具体的にはどういう事?」と何だかモヤッとした記憶があります。

実際には「一人暮らし」している人はいくらでもいるし、組織に属さず自分一人で稼いでいる人もいくらでもいる。

ネット上での商売や投資等で稼いでいて、仕事ですら全く人と関わらない人も今の時代はいくらでもいるでしょう。

だから感覚的にはピンとこないというか、腑に落ちないというか。

以前、柔道の石井慧が「ここまで来れたのは皆さんのお陰…ではなくて自分の力です」的な事を言ってちょっと問題視された事があったと記憶しています。

真面目なキャラならとりあえず「皆さんのお陰です」と言っておくのが日本人のお約束ですが、改めてそのように茶化されると、「可愛くない奴だ… だけど、確かに”皆さんのお陰”って、言う方も聞く方も大して気持ちも込めずとりあえず社交辞令で使われてる感あるな」と思いました。

言う人は、言う瞬間に具体的に「お陰」のシーンを思い浮かべているのだろうか?
一応マナーとして言うけど、形骸化していて魂はこもっていない「包装紙」的なセリフ。
そんな風に思いました。

「人は一人では生きていけない」も何だかそれに似ていて上っ面だけのリアルじゃないセリフに思えたのです。

 

原始社会ではリアルな事実

だけど、それが一転「もしも原始的な狩猟採集生活だったら?」と想像すると…

都市生活に比べリスクが段違いに高い

例えば狩り
「ライフルで遠くからズドン」なら兎も角「槍」とかで獣と近接戦闘するレベルだと、いつでも無傷とはいかないでしょう。
獣に反撃されて怪我するリスクも結構ある。

反撃されずとも、追っている時に茨のような鋭利な物や、硬い物に引っ掛けたり躓いたりして怪我する事もあるでしょう。

要するに、近代的な都市生活に比べて遥かに怪我する確率が高い。
そして怪我の影響も大きい。

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都市生活者でも肉体労働者は影響デカイですが、パソコン使った仕事とか営業的な仕事等は手足の骨折ったっていくらかパフォーマンスは落ちても致命的な影響はないでしょう。

それが狩猟採集生活者の場合、指一本捻挫するだけでも槍とか弓を扱うパフォーマンスだってガタ落ちでしょう。

能力があって活躍していたエースだって指一本の怪我でアッサリその立場から転落するのではないでしょうか?

しかし捻挫くらいなら治癒すればパフォーマンスも戻るでしょう。
でもそれが靭帯だったり骨の場合、下手すると怪我の箇所が変形してしまったりして元のパフォーマンスを二度と発揮出来なくなる事もあります。

近代的な医療機関もない状況ではそうなってしまう可能性も高い。

要するに「人より優れたエース」の立場も明日にはどうなるか分からない。
近代社会でも本質は同じなのかもしれませんが、そのリアルさが違うと思います。

 

他者の「お陰」がダイレクトであり、リアル

狩りを例に取ると「活躍した」ってどういう事でしょうか?
トドメを刺したことでしょうか?

では、トドメを刺すまでの過程を想像すると…

 

野生動物がどれぐらい速いかご存知でしょうか?

例えばシマウマは時速60km、ダチョウは時速70kmで走るとのことです。
一方人間の走る速さは人類最速の記録であっても時速40kmにすら達しません。
せいぜい時速30km台です。

つまり槍を持って走って追いかけるような方法では、一対一で捕まえる事などまず不可能。

人間よりもはるかに速く走れるライオンやらハイエナですら「追いかける係」「待ち伏せていて飛びかかる係」等と協力してチームプレイで獲物を狩るのです。

人間にしても同じでしょう。
槍などで直接捕まえるような原始的な方法の場合、チームプレーが必須でしょう。

つまり「トドメを刺した」と言ってもそれはサッカーで言えば「ゴールを決めた」というようなもので、仲間のアシストやディフェンスがなければ成り立たない。

 

獲物を狩った後の処理についても想像してみましょう…

肉をさばいたり集落まで運ばなければなりませんが、例えばシマウマの体重は200kg以上あるそうです。
一人だったらそれをどうやって運べるでしょうか?

何回かに分けて運ぶ?
他の獣に持ってかれるでしょうね…

また冷蔵庫や冷凍庫がないような状況では「適当にバラして放り込んでおけば良い」とはいきません。
肉が悪くなる前に、手早く、例えば干し肉にしたりといった加工が必須でしょう。

200kgとか大量の肉を己一人で?
一体どれだけ時間と労力がかかるのか?

あるいは狩りに使う槍や弓、そういう物を作るのも得手不得手があるでしょう。
仲間がいればそういったことが得意なメンバーもいるでしょう。

しかしたった一人であればそういった道具の製作も自分自身で行わなければなりません。

道具の原料、例えば矢尻に使う鋭利な石とか、材料集めも必要です。

また「人生」という事を考えると、自分が生き延びるというだけでなく、子供を育てたり等という要素も出てくるでしょう。

狩りに出ている間、誰が子守をするのでしょうか?

このように、一つ一つ具体的に考えていくと原始的な生活では「人は一人では生きていけない」が道徳やスローガンではなく、リアルな事実である事が想像できます。

そんな事を、今回の自分自身の怪我から改めて考えました。

狩りの対象になって殺される動物が負うダメージに比べれば、本当に些細なかすり傷と言えるでしょう。
しかし、そんな小さな怪我でもそれなりに支障があるわけです。

実際今回「怪我している間は罠仕掛けるのは止めるか。もしも獲物がかかっても、殺したり捌くのも支障がある」等と考えました。

 

理由② 淘汰された結果

こちらは「彼らの生活を想像して」至った結論ではなく、不自然にすら感じた彼らの「活躍者を褒めない」ルールというか振る舞いから思い至った理由です。

「不平等」に対して不満や怒りを感じるのは人間だけではありません。
動物実験でサルや犬、鳥なども不平等に対して不満を示すことが確かめられているそうです。
報酬に差をつけられて怒るサルの動画 ※12:30あたりから)

つまり「不平等に対する不満」というのは論理ではなく本能的な感情なのかもしれません。

であれば、どんな理屈をつけて正当化してもその結果に不満を感じる人がいることは仕方のないことなのかもしれません。

一方、「自分自身を特別視する」「多く取り分を得たい」そういった欲望を抱くこともまた自然な本能的な感情の気がします。

ですから、かつて狩猟採集の生活をしていた集団においても、平等でない成果主義を採用していた群もあったのかもしれません。

しかし現存する狩猟採集民は平等を尊んでいるわけです。

ここから逆に考えると
「成果主義を採用した狩猟採集集団は淘汰されてしまった」
そのようにも考えられます。

つまり不平等に対する不満や怒りで諍いが起き、集団を維持することができなかった。

その集団が滅びてしまったのか、あるいは農耕などへシフトして行ったのか分かりませんが、現存する狩猟採集民は集団を維持するために平等を尊ぶルールを必要とし採用したのかもしれません。

 

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