2017/05/13

スポンサーリンク
知人からバイトの話を頂きました。
栽培中の大麦の畝間に 耕運機をかけ 雑草を潰す( 鋤き込む)作業です。
冒頭写真のように綺麗に条蒔きされた大麦ですが、たまに列からはみ出た「はみ出し者」の株があります。
このような株はそのまま耕運機で踏み潰し鋤き込んでしまいます。
この作業をしながらふと考えました。
この大麦たちは人間のようで、まるでこの様は人生のようだなと。
人生を鉄道に例えて「レールから外れる」等と表現しますが、この作業をしながら大麦達を眺めているととてもシックリきます。
管理したいという欲望
そして上から彼らを一望し、「管理機」とも呼ばれるこの機械をかける自分はさながら為政者の様だと。
エラい人からは人間がこの様に見えているのかもしれない。
ビシッと一列に揃った様は美しく感じ、そこからはみ出ているものはやはり邪魔くさく目障りに感じます。
人間にはそのような美意識や価値観があるようです。
だからうっかり権力の座につくと、人間に対してもそういった状態を望み「管理」したくなるのかも。
この仕事をくれた人も、丁度こんな話をしていました。
「人は見かけを気にする。ある人が、ススキが好きだったので刈らずにわざと生やしていたら近所の人から顰蹙を買った」
雑草を目の敵にしてやたらと綺麗にしたがる人がいますが、 それもそのような美意識や価値観からなのでしょう。
聞くところによるとアメリカ人も「庭の芝刈りを怠ると近所から顰蹙を買う」などということがあるそうで、 洋の東西を問わずそのような価値観があるのでしょう。
スポンサーリンク
生産性の名のもとに
また見かけの問題の他に効率の問題もあります。
はみ出したこの株を保護するために耕運機を避けさせるとなると、かなり手間がかかります。
効率から考えれば、このような「マイノリティ」は無いものとして構わず踏み潰して進むのが正解でしょう。
これを生かす為に迂回するという判断はよほどの余裕(時間、エネルギー)がなければできないでしょう。
もしくはイノベーションによって このような株を、例えばまたいだりして回避できるような耕運機が今後出てくるか。
しかしそのような機能の耕運機が今後出てくることも望めないでしょう。
なぜなら費用対効果が悪すぎる。
わざわざ新しい機能を開発し、付加するほどの価値をはみ出し者の株に感じる人はほぼいないでしょう。
もちろん全て人力手作業で行うのであれば、はみ出した株を避けるなど容易なことです。
しかし効率優先、生産性優先で考えれば全て人力手作業で行うなどナンセンスなことでしょう。
効率や生産性というのも「ビシッと揃った美しさ」同様、重視され、力を持っている価値観です。
ですから放っておけば「はみ出し者を排除する」という動きに至るのは必然なのかもしれません。
耕運機をかけながらそんな事を考ていて、一つ思い出した話があります。
キリスト教の例え話「迷った羊」
結構有名な話なのでキリスト教に関心が無くても耳にした事があるかもしれません。
『あるところに百頭の羊を飼っている人がいた。
ある時そのうち一頭がいなくなった。
そんな時、99頭を置いてそのいなくなった一頭を一生懸命探さないだろうか?
そしてその一頭が見つかった時の喜びは、99頭が迷わなかった事に対して感じた喜びよりも大きいのではないか?』
そんな話です。
解釈は色々あるようですが、私は「『はみ出し者排除』になりがちな人間の習性に対する戒め」なのかなと考えました。
つまり2000年前も既に「はみ出し者排除」の圧力と、それにともなう苦しみ、軋轢があったのだろうと。
スポンサーリンク